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プロフィール

市役所生活35年。札幌で暮らして40年。秋元克広の歩み、人となりをご紹介します。秋元克広を知る12の質問

歩み

1956(昭和31)年
  • 2月2日 夕張市本町(商店街)生まれ
  • 夕張北高校・北海道大学法学部卒業
1979(昭和54)年
  • 札幌市役所入庁
  • 北区窓口課、広報課、工業課、交通企画課などに勤務
2004(平成16)年
  • 企画調整局情報化推進部長となる
2005(平成17)年
  • 市民まちづくり局企画部長となる
2008(平成20)年
  • 南区長となる
2009(平成21)年
  • 市長政策室長となる
2012(平成24)年
  • 副市長となる
2014(平成26)年
  • 札幌市役所退職
  • 札幌市長選に挑戦

QA

Q1

私は3人姉弟の末っ子。姉とは13歳、兄とは7歳離れているのでケンカはなかったですね。すぐ風邪を引くことも多くおとなしい子でしたが、小学校で野球を始めてからはすっかり丈夫になりました。中学はバスケット、高校はテニスに汗を流し、キャプテンも務めました。

小学校の先生からは、「きみの長所は理性と感性、積極性と慎重さを合わせ持つバランスの良さだよ」と言っていただきました。その言葉はうれしくて、今もよく覚えています。

中学校の体育大会。足は速かったです。
中学校の体育大会。足は速かったです。

Q2

私が生まれた頃の夕張は12万人都市。商店街の祭りが大変賑やかだったのを強く覚えています。それとセットで強く記憶に残っているのが、友達の転校です。昭和30年代後半から炭鉱の閉山が始まり、どんどん友達が街を去って行きました。小学校入学時には5つあったクラスが、卒業時には4クラスに。友達との別れも、街の様子が変わっていくのもすごく寂しかった。「産業、働く場がないと街は成り立たないんだ」と、子ども心に痛感しました。

高校生の頃、学校祭の大道具作り。
高校生の頃、学校祭の大道具作り。

Q3

飄々とした学生で、みんなで集まる時にはいろいろ笑わせようとするタイプでした。就職が決まった時には、ゼミの指導教授にすごく驚かれました。真顔で、「きみはお笑いの道に進むんだとばかり思っていた」と言われましたね(笑)

Q4

大学時代、商法、経済法のゼミに所属していました。それは民間企業に就職しようと思っていたから。市役所は、友人に誘われて受験しました。

面接では市営地下鉄についての意見を聞かれました。その時私は、「ゴムタイヤでは相互乗り入れができないのでは」と発言して、「ゴムタイヤ式は騒音がなく世界に誇れるものだよ」と怒られたんです。これは落ちたなと思いましたが、合格通知が来ました。大学の先輩の「お前みたいな意見をはっきり言う人間が意外と行政に向いているのかもしれない。まちづくりっておもしろいと思うぞ」という言葉も後押しになって、「よし、本当に市民のためになるまちづくりをやってみようじゃないか」と、入庁を決めました。

Q5

北区の窓口課で戸籍を扱う仕事をしました。出生届、死亡届、婚姻届、離婚届……。さまざまな届け出とともに、たくさんの人生に出会いました。喜怒哀楽を直接目の当たりにして感じたのは、相手の立場に立って仕事をすることの大切さ。それぞれにそれぞれの立場や事情がある。法律や規則の中で通りいっぺんに対応するのではなく、市民が幸せであるためにどう動くかが重要です。「融通のきかない、固い役人にはなるまい」と心に決めました。

入庁後すぐの時期。仲間との草野球。
入庁後すぐの時期。仲間との草野球。

Q6

工業課時代の上司です。先輩に話を聞き、すごい人がいるんだと強く思い、印象に残っています。

当時は札幌の新産業として情報産業の育成を市が推進していた時代で、私は企業誘致に関する仕事をしていました。民間企業の時間感覚は大変スピーディーで仕事量も膨大ですが、その上司はかなりパワフルな人で、第一線で活躍する企業人と同じレベルでバリバリと働いていたそうです。

なかでも記憶にあるのが、東京から朝10時に電話が来て、「15時までに書類を東京に持ってくるように」と指示を受けたという話です。慌てて飛行機に乗って届けに行くと、重要なのはその書類よりも札幌にいる人間が数時間後には東京につくことができる事実でした。その頃は、企業訪問する度、「札幌は遠いですからね」と言われるのが常でした。それが多くの企業が札幌に持つイメージでしたが、「十分ビジネスを展開できる距離感である」ことを行動で示したわけです。型破りなやり方ではありますが、札幌の街を売り込むにあたってのその人のアグレッシブさ、アクティブさに感銘を受けました。私が配属になった時にはその方は病気で入院されていて、残念ながら彼の指導を受けることはできませんでしたが、心の師と思っています。

Q7

工業課時代に携わった、行政として全国で初めてインターネットを取り入れたプロジェクトですね。信じられないかもしれませんが、インターネットといってもその頃できたのはメールの送受信くらい。地元の中小企業が使えるネット環境はありませんでした。そこで大学との共同研究で環境を構築しました。

また交通企画課に在籍していた時に行っていた、都心部の交通環境改善への取り組みも印象に残っています。渋滞緩和のために、試験的にいくつかのプロジェクトを行いました。街中の人の流れ、動線づくりはまちづくり、経済に直結します。だからこの時は、商店街の方々とも話し合いながら、仕事を進めていきました。

時代の最先端を行く技術を取り入れた仕事や新しい取り組みにチャレンジでき、大変でしたがとても充実した時間を過ごしました。この時の人間関係が今の自分のベースにもなっています。

Q8

区長は区役所全体の統括を行います。地域の方から直接ご要望を伺ったり、地域のイベントに参加させていただいたりと、地域のみなさんと接することが楽しかったですね。政策室長は市長と市役所の各部署のパイプ役。市政全体を俯瞰し、市長へ情報を整理して伝えたり、逆に市長の思いを現場に届けたりという、いわば通訳のような仕事をしていました。副市長は市長のサポートはもちろんですが、市長の代理として各セクションの仕事の最終判断を行っていました。

「すすきの氷の祭典」でのご挨拶
「すすきの氷の祭典」でのご挨拶

現場にいると担当分野の業務には精通できますが、市政の大きな動きを把握するというのは難しいものです。区長時代に地域のみなさんと直接ふれあい、政策室長・副市長時代に札幌の街を大きな目で見つめる仕事を経験したことで、より効率的で市民満足度の高い都市経営を行うポイントをつかむことができたと感じています。

Q9

空気が清涼で生活しやすいところですね。近くに豊かな自然もあるし、適度な利便性や文化性があって、非常に暮らしやすい。市民の9割が住み続けたいと願っている街というのは世界を見てもなかなかありません。多くの市民がいつまでもそう思える街にしていきたいですね。

札幌の都市基盤の多くは冬季オリンピックを機に整備されており、老朽化が進んでいます。街としての更新期を迎えていますが、これはより札幌の魅力を高めていくチャンスでもあります。民間の活力も活かして、バランスよく街を再構築することが必要です。また、施策も単発でカンフル剤的に打っていくのではなく、街を知り尽くした目で、長期的展望をもって、計画的・継続的に実施していくことが大切になってくると思います。私の大好きな札幌の魅力を、より高めていきたいと思います。

Q10

第一印象では真面目で、固そうに見えるとよく言われますね。でも、一度話すと印象はがらっと変わるようです。冗談も言うし、笑うし、お酒も飲むし、普通のおじさんですから。

自分で言うのもなんですが、声をほめていただくことは多いので、そこは自分の魅力のひとつなのかなと思っています。それから、「ちゃんと話を聞いてくれる」と言われるのもうれしいですね。何事もまずは話し合いだと思うので、普段から自分とは反対の意見も含めて、人の話を誠実に聞くように心がけています。

Q11

特技というほどのものではないんですが、簡単な料理はできます。得意料理はオムレツ、ハンバーグ、ビーフシチュー。実家がそばをメインにした食堂を経営していたので、食事時は忙しく、ご飯をつくってくれる人がいませんでした。自営業を営む親の苦労も見ていましたから、食べたかったら自分でつくろうということで料理を覚えました。

父親はそばを打っていましたが、私は「のし」が難しくて打てないですね。長期休みに出前の手伝いはしていたので、おかもちなら持てます(笑)

Q12

妻と娘が一人いて、妻の父と同居しています。子どもが小さい頃はよくキャンプに行きました。食事の準備もしましたね。最近はめっきり「テント」よりも「温泉」の方が多くなりましたが……。普段から、ごみ出しや週末の買い物などもしています。結構まめな夫であり、父なんじゃないかと自負しています。

一人娘との一枚です!
一人娘との一枚です!